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少林寺流の指導理念

 少林寺流の道場で行われる稽古は、形を形成している「形」の鍛錬、次に形を集大成した「型」の反復鍛錬が主となる。しかし、ただなんとなくやっているわけではなく、稽古の心得として、下記念頭に置き、稽古に励む。

1. 楷書の稽古であること​

 先輩の形を手本とするも、それはあくまでも楷書の形で、行書や草書の形は手本にならない。

2. ​一撃必勝の信念を持ち、その域に達すること

 この技が失敗したら次の技があるんだ、という考え方の「稽古」では、真の技は体得できない。型を形成している個々の形(技)は、総て相手を倒したいという気迫を込めて「稽古」しなければならない。

3. "空手に先手無し"の教えを形(技)の中で表現すること

 空手は、専守防衛の護身術であり、総ての型は受けの形(技)から始まり、そしてその形(技)は最短距離を通って対応する。ゆえに、攻防の形(技)は、相手の出方を見てから発する。すなわち"空手に先手なし"の所以である。

  • 残心を示す。

  • 受けも攻撃である。

  • 攻防の形(技)は近道を通る。

  • 迫力、瞬発力のある形(技)とは、ゼロから発し、瞬時に最高点まで引き上げられたものである。

4. 型の稽古は鍛錬法である

 徹底した楷書の型の反復練習によって基本を体得すれば、非常の際は、相手の技に対応すべく適切な技が自然に発し、相手の技を牽制するのである。

5. 一器の水を一器に注ぐが如しの教えに徹すること

 型を構成している形(技)は、実践においては臨機応変、様々な形(技)に発展する。その展開した形(技)を原型に持ち込んで、安易に型を構成している形(技)を変えてはならない。

 そのような考えが浮かんでいるようでは、未熟な証拠である。型は既に完成されているものであり、それを正しく身につけることが大事なのである。迷わず型の反復練習に励むことが大事である。

​ 「一器の水を一器に注ぐが如し」の禅の教えは、拳聖喜屋武朝徳先生の指導理念であり、又少林寺流の指導理念でもある。

少林寺流の命名

 喜屋武朝徳先生は、松村宗棍(首里の達人で武士松村として知られる)や、外数名の達人より、八つの型を授けられたが、師の教えた通りの型をそのまま保存継承するという無修正主義を尊重しておられた。すなわち「一器の水を一器にうつす」という禅の教えに徹したのである。

 すなわち、自ら身に修めた八つの型には、いささかも潤色を加えず忠実にこれを守り、弟子たちに伝承されたのである。

 私もこのように、絶対に創意工夫を加えようとしなかった恩師喜屋武朝徳先生の志を汲み取って型の無修正主義を尊ぶ気持ちがおこり、全ては源流にたちかえれという理念の下に「少林寺流」と流派の命名を行う。(1955年5月)

  「少林寺流」というのは、また、中国拳法の始源といわれ、さらに沖縄の「手」の発達に大きな影響を与えたと考えられる中国の少林寺拳法に因んだ結果の命名でもある。また現実的には、喜屋武朝徳先生の伝承された八つの型と、他の首里手(ショウリン流系)と区別するための命名の結果が「少林寺流」の主な理由である。

出典元:

『空手道 少林寺流命名五十周年記念誌(仲里常延 編著)』

(発行日:2005年3月13日、発行者:仲里常延)

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